斜体文字になっている号のfuenteの編集後記を掲載しています。

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63号編集後記

 今年の交流会も無事に終わった。一年振りの再会。中には数年振りという人もいる。しかし、一向にそのような感じがしない。手紙をもらったりした時や、年に3回のフエンテを発送する際、顔を思い浮かべているからだろうと思う。

 今年の講演会は枻出版の『趣味の文具箱』編集部の清水さんと井浦さん。『趣味の文具箱』がどのようにして生まれたのか、その編集・発行にはどのような御苦労があったのか、短い時間ではあったがお聞きすることができた。

 『趣味の文具箱』は2004年創刊だったが、その計画・準備は2000年からだったそうだ。4年間もの間、会社を説得したり、情報を収集したりされたそうだ。そして、いよいよ2004年にスタート。「2004年から10年間、人間で言えば成人式を迎えた感じかな。これからはもっと成熟させていきたい」と清水さん。

 やはり、生の話というのはいい。嬉しい顔、辛い顔、悔しい顔、その時その時の体験が表情に出る。それらを感じながら話をお聞きした。(井浦さんの目が一瞬潤んだのを私は見逃さなかった。)

 交流会が終わり、会場での立食パーティー。古くからの人に交じって、今年は新しい人が多く参加された。嬉しいことだ。会場には、美味しいピザと寿司、そして、会員の冨樫さんから赤ワインとシャンパンが届けられていた。切り裂きジャックと異名を持つ冨樫さんだが、ワイン通で有名な方だ。葡萄の種類は勿論、それぞれの地区の、年代の、例えばその年の夏の気温や降水量などから葡萄の出来具合を割り出すなどして、冨樫さんはワインの品質を語ることができる。冨樫さんには乾杯の時、これから飲むワインについての蘊蓄を語っていただこうと思っていたのだが、生憎の不参加でそれは叶わなかった。

 しかし、盛大にパーティーは始まった。皆さん、いい顔だ。嬉しい。そして、ワインが美味しい。無事に交流会が終わったという安心感もあり、幸せいっぱいで味わった。香りが深い。口の中にワインの味わいが幾層にもなって広がっていく。成熟を感じる。

 うん? あれ? ワインの味が何かを語っている。うん? 何だろう? この感触は! ワインが何かを語っているのだ。

 葡萄を植えた人たち、育てた人たち、収穫した人たち、ワイン作りに関わった人たちの存在、そして、経過した時の流れの厚み。そのようなものを強く感じたのだった。

 これはこれは...、折角の冨樫さんからのワインだ、もう少しいただこうと、私はテーブルに置いてあるボトルからカップにワインを注ぎ、それを口に含んだ。

 その時、初めて気付いた。

 ボトルラベルの2004の数字。

 その瞬間、目頭が熱くなった。

 ワインボトルは交流会初日から会場に展示していたのだが、全く気が付かなかった。冨樫さんから、交流会に参加できなくなったと、当日私に連絡があった際も、冨樫さんはワインの詳細には全く触れられなかった。

 無言の伝言。

 冨樫さんらしい。

 伝言を、ワインが私に語ってくれた。

 萬年筆くらぶを発足して良かった。今年も交流会を開けて良かった。そして、講演会に枻出版の清水さんと井浦さんをお招きして本当に良かった。

 『趣味の文具箱』を植えた(生んだ)人たち、育てた人たち、関わった人たち、経過した時の流れの厚み、それらを見事に祝福してくれ、素敵なパーティーとなった。

 無言の演出。

 この静かな感動の余韻は今も続いている。



64号編集後記

 私が使っているパソコンはNECのLaVie NXというもので、立ち上げるときにwindows 98という文字が浮かぶ。かなり古い。キーボードのAとSとNのキーの文字が半分消えている。使用ソフトは一太郎11。画面上の、方向を示す▲や▼などが不可思議な文字に変わっている。ブロック体以外の文字が何時からか使えなくなった。赤色を指定しても緑色で出てきたりするなど、かなり怪しい動きもする。

 しかし、文字を入力することはできるし、保存・読み出しもできる。そして、何よりもキーのタッチがいい。ブラインドタッチの距離感も、このキーボードで私の指は覚えた。だから、使い続けている。

 『趣味の文具箱』や『ふでばこ』を読まれた方から、素敵な書斎ですねとの声をいただいた。写真というものは、良く写るものらしい。カメラマンの腕もいいのだろう。写真に写っている品々は30年近くかけて入手してきたもの。それぞれにいろいろなドラマがあった。

 新しい物を購入する際、どんなに気に入った物でも、それが既に部屋にある物に溶け込まずに周囲の物と喧嘩してしまう物であれば、私は買わない。統一感を重視する。高価な物は買わない(買えない)。でも、時には買ったかな。書棚や小さな台は私の手作り。ジャストサイズで作ることができる。数千円。額に入っているのは、古山さんの作品以外は絵葉書。安い。送っていただいた絵葉書もある。それらの絵は、いつも私を励ましてくれている。正面の壁は、一種の「作品」だと考えている。部屋のレイアウト・模様替えは何度やったことか。その時々の、ものの見方・考え方に従った。年齢相応の現れ方があるものだ。その結果が現在の私の書斎だ。30年近くの時間の蓄積が、私の書斎にはあるのだ。

 この3月に、私は36年間勤めた教育現場を去った。36年間、それは実に濃厚な年月だった。その厚い時の流れを思い出しながら、厚い時の流れを感じる部屋で、そして、厚い時の流れを感じるパソコンを使いながらフエンテ64号を作った。

 64。それは2の6乗。さて、気長に2の7乗までフエンテを続けますか。

 そうだ、そうだ。巻頭の歌の現代語訳を募集します。次号でそれを楽しみちょびれ。



65号編集後記

【その1】

 世で言われているラインというものがどのようなものであるかを、私は知らない。SNSが、アメリカでは大人のためのたまり場であるのに対して、日本では若者のためのたまり場となっているというような話も、その真意は分からない。知らない世界がどんどん大きくなっている。

 私は早期退職したことで、生活の中のいろいろな場面を整理した。まず車を処分。そして携帯電話を解約した。電話番号を記入した手帳と十円玉を持ち歩き、電話ボックスでガチャガチャ・ピッポッパとやる。夏場は大変だ。ボックスの中は異常に暑い。ドアが閉まらないように足で押さえる。あの人、可哀想に...という、道を歩く人の同情の視線を感じる。

 そのような訳で、今後もラインやSNSを体験することはなさそうだ。

 フエンテ65号。この一冊、様々な事柄や人それぞれの生き方・経験が織りなされている。20年近く前の話もあり、読んでいると、ふっと自分の体験や経験と重なり、ほのぼのとした気持ちになる。自分が歩いてきた道が肯定されたような安心感を覚える。この感覚が今風で言うとライン?(違うかな?)

 ところで、フエンテ65号には、時間・空間・人・精神・筆記具・文学・科学・芸術と、さっと思いつくだけでも8個の要素が含まれている。これらは、どの二つを用いても他の一つを表現することはできない。(こういうのを数学の世界では独立というらしい。)フエンテ65号は少なくとも8種の糸で織りなされている。そして、その糸は独立している。つまりフエンテ65号は少なくとも8次元の世界なのである。

 宇宙空間は11次元とか? 雲を掴むような話という比喩はもはや届かない。それでは、世の中のラインというものは何次元の世界なのか? 体験することがなさそうなので、不明のままである。

【その2】

 2015年3月、職場から去る日が近くなっていた。数学準備室の窓から外を見ると落葉した枝に生気が蘇っているように感じられた。今年の冬の寒さも厳しかった。しかし春はもう近い。半袖・短パンの生徒たちが走っている。そろそろ荷物の整理を始めなくてはと思っていた私に訃報が入った。

 長原さんとのお付き合いは長い。年に3回、私(私たち)は長原さんとフエンテを通して会っていた。フエンテで川西謙さんの、長原さんに関する連載が始まったのは1996年発行の9号である。その後、2011年発行の54号まで、毎回川西節は続いた。

 ワクワクした気持ちでエスカレーターを駆け上がる。長原さんにチラッと挨拶をして店内に並べられた万年筆を見て回る。そして、ペンクリに訪れた人と長原さんとの会話を聞くとも無しに聞く。時に内容をメモする。川西さんの番になる。「あんしゃんのために作ってきたもんがあるんじゃ」「せやけど、見せんほうがええかも知れんのう」川西さんは値段を聞き、何とかなる金額であると自分を納得させ家に持ち帰る。その夜、川西さんは買った万年筆で文字を書いてみて、自分の線を更に研究していく決意を新たにする。

 この流れが何話も続いた。そして、もっともっと続くはずだった。しかし、2011年に川西さんが逝去され連載は終わってしまった。フエンテの中から一つの世界が消えた。

 この連載を通して私は長原さんのお人柄に接し、長原さんから多くのことを学ぶ事ができたのだった。

 長原さんは立ち止まらない人だった。常に自分の可能性を切り開こうとされていた。その可能性は高度なものであり超一流のものであった。到達点はなかった。より面白いもの、より高性能のものを追求され続けた。

 その生き様こそ、私が長原さんから学んだことだ。とても真似はできないが、その姿勢だけはもっていたい。

 川西さんと長原さんが亡くなられてフエンテから一つの世界が完全に消滅した。しかし、お二人の熱いドラマはフエンテのバックナンバーの中にしっかりと息づいている。フエンテが存在し続ける限り、お二人のドラマは続いている。ささやかだが、そのフエンテの灯火を消してはならない。私は、長原さんの逝去の際、その思いを新たにした。



66号編集後記

先般50号を発行したのが2010年であった。『fuenteに寄せて』という記念誌を作り、多くの人の筆跡をそこに残したのだった。万年筆文化の一つの記録。ピンクの表紙の冊子は記憶の底に沈みつつあるだろうか?
あれから5年後の今年、2015年の12月、フエンテは記念すべき66号に達した。エッ? 66? この数字って何? 何か意味があるの? 75だったら解るけど...? よく75周年記念万年筆というのがあるよね...。そんな声が聞こえてきそうだ。

 確かにそうだ。66というのは、あまりピンとこない。

 それでは種明かし。66は100を1とした場合の3分の2。正確には66・6......だが、切り捨てて66。33が1/3。50が1/2。66が2/3。我々の道も3分の2まできたのである。何も100号が目標であるわけではないが、一つの到達点ではある。

 ところで、この2/3。これは1/3が2つ分。はたして、この1/3という値は大きい値であろうか、それともそうではないものであろうか。

 1/3は3割3分3厘。野球で言えば強打者だ。1/3は大きい。一方、テストの点数が33点。100点満点の1/3。もっと勉強せねば。この場合の1/3は小さい。ところが、いつも一桁の点数だった人が33点をとった。この時の1/3は大きい。同じ1/3でも大きく見えたり小さく見えたりする。

 突然だが、世界中の人々のうち、大便後に紙で尻を拭くのは1/3だそうだ。そして世界中の1/3の人々は紙以外のもので尻を拭く。例えば草とか木の皮。中には指で拭くという人たちもいる。では、残りの1/3はなにで尻を拭くのか?

 拭かない。そのまま。自然のまま。ウンを天に任す。堅めの糞はコロッと落ちるし、軟らかめの便であっても、そのうち乾燥して剥がれ落ちてしまう。

 世界の人々の1/3が尻を拭かないらしいことを、どうやって調べたのか疑問は残るが、問題はそれぞれの1/3を多いと感じるか少ないと感じるかということ。これは一つの提起だ。

 世界は実に広い。多様性に富んでいる。多くの価値観で溢れている。その差異をどのように受け止めるか。国内外で不穏な事が相次いでいるが、尻を拭く所作が紛争の種にならないことを願うばかりである。

 フエンテは100号で終わりというわけではないが、何事も終わりというものはある。取り敢えず100号を目標とすると、残りは1/3。これを多いと見るか少ないと見るか。

 いずれにしても、平和な世の中であればこそフエンテが存在していることは間違いない。とすると、フエンテが続くかどうかというよりも、平和な日本が続くかどうかという話になってくる。そして、世界の平和へと話は展開する。


 66からいろいろと話が飛んでしまったが、現職の時の私の授業がこうだった。僅か半年前の退職なのに遠い昔のような気がしている。